今朝、宮崎勤死刑囚の死刑が執行された。この事件の当時、俺はまだ2才でほとんど記憶にない。俺は死刑廃止論者でも何でもないが、刑が確定され、執行されてしまった以上、もう永遠に事件の真相が明るみに出ることもなければ、亡くなった子を持つ親の犯人に対する憎しみが癒えるはずもない。その反面、本来6ヵ月以内に行われるはずのものを2年もかけたのは遅い気がする。
 裁判を長引かせたのは、責任能力の有無だった。裁判を受ける能力はあっても、本人がどれだけ罪の重さを認識しているのかはわからぬまま終わってしまった。反省の弁を述べさせる機会を与える意味でも、刑の執行は引き伸ばした方がよかったのではないか?この犯人に限らず、オウムの麻原にしても、事件の真相は未だ語られたことはない。それに、適性手続きの面から言っても、死刑を執行された死刑囚が必ずしも明らかにされないというのは、どう考えてもおかしい。
 何がこの事件を生んだのか?ただの頭のおかしいロリコンがやらかした事件というだけで、大半の国民が納得してしまったのでは、本当の意味での真相解明にはつながりはしない。そして宮崎以降も、凶悪犯罪が立て続けにおこるなか、ただ執行すればいいという安直な態度では過去の事件の教訓が次に生かされないばかりか、(程度の問題だが)もっと凶悪な事件がおこるかもしれない。しかし、いかなる彼の裁判記録からも、事件を悔いることばが一切伺い知ることができないとすれば、やむを得ざる死刑だったのかな、とは思う。遺族の感情をかんがみ、それで多くの人が納得する結果だったのだろう。