周りの風景を見ると、いつも思う。変化するのは自分の周りだけで、それ以外は何も変化しないように見える。これは矛盾だろうか?享楽的で退廃的に見える都市の光景は、この先ずっとそのまま残るだろう。砂漠の蟻地獄のように。俺には考える時間がまだある。恐らく人よりも多く。金はなくても時間がある。功利主義者はせっせと銭儲けに汗して、気づいた時には死にかけのじじい、ばばあになっている。
 本当に不幸なのは時間貧乏だ。時間がなければ、彼もしくは彼女に考える時間を与えない。そういう人は時間をドブに捨てているようなものだ。少なくとも、彼らのためにある時間ではない。時間のない人間は首のない人間と同じだ。
 竹村さんが言うように、人間は本来楽しいことが大好きな生き物。旅に出たり、好きな本を読んだり自分のためにご褒美の時間を与えないと、神経が休まらない。ただし、身を持ち崩さぬ程度に。
 だからそういう風に時間を使っていれば、異性との付き合いに苦しむ心配もない。同世代の女性とは全く何の話もかみ合わないだろうと思う。女性は食べ物やファッションの話しかしない。俺は食べることにあまり関心はない。というよりも食べるのは生存のため。楽しむために食べると考えるのは先進諸国のおごりです。贅沢嗜好の先進国の豚は平気で食べかけのご飯をぽいぽい捨てる。自慢じゃないが俺はご飯をいただく時は必ず茶碗のご飯を一粒残らず食べるようにしている。空気と同様、生理的欲求ではあるがどうせ内容物はう●こになって全部流れてしまう。繁華街のようににおいだけで十分楽しむこともできる。どうして女はいつも食うことばっかり話すのか、わからない。