今日で放送大学の単位認定試験がすべて終わった。今日、休憩室で中食を取っていると留学生がいたので英語で話しかけてみた。ナイジェリア出身の方で、もう6年近く住んでいるという。日本語のテスト勉強をされていた。ナイジェリアは英語とさらにもう一つ言語(フランス語?)があって、多少の地域差があってもだいたいみんな英語で話すのだそうだ。外国から来られて長いとはいえ、まだまだ日本語特有の文化や慣習について行けず、戸惑う外国人もしばしば多くいることだと思う。そういう時、一番孤立しやすい。日本人全員に我が国のマナーや考え方が少しでも誤解されないように振る舞えなどとは言わないまでも、少なくとも最低限の礼儀作法や躾は、子どものもっと早い時期から身に付けさせるべきではないか?
 その前にまず日本全体に渦巻くこの何とも形容し難い世界から見た時の「中間意識」を捨て去ってもらうことだ。いくら駅前留学に通わせて国際レヴェル国際レヴェルとホザいても、くだらない「中間意識」は消えない。それは日本にいて、外国語を学ぶ意味がほとんどないからだ。日本国内にいて体得した語学知識がせいぜい生かせるのは道案内の時か、ほんのごくわずかな英語サークルといった集まりの時、ないしは勘違い甚だしいスノッブの連中が団体のツアー旅行のさい、時々立ち寄る土産物屋さんの大将との二言、三言の会話の時ぐらいしかない。要するに、至って安直な理由で熱心に語学を学習する、というのが現代の風潮だ。それが見事に「中間意識」と重なって、カネのあるヤツだけが参加する交流クラブになっちゃった。
 では何故そうもこだわるのか?取り残されそうだから?違う。仕事に生かすため?これも違うな。そんな一時的なものではない。そんな軽いノリだから日本人、ロクに下も回らないのだ。裸になるためだ。語学習得には延々と時間がかかる。一生かかっても、せいぜい2才児程度だと言われている。ポイントは話せるようにではなく、いかに相手と交渉するかだ。人間、同じところに二人いたら駆け引きしあう。どんなイヤな相手でも。そんな時、いかに対処するのか絶えず考えるのがコミュニケーションだ。そんな時語学は裸になって開けっぴろげになるための練習なのである。