昨日、大乗仏教についての書を古本屋であたってみたがなかった。この世のすべては常に変化し続け、この世のすべてには実態がなく、真の幸福と安らぎとを得ることが可能とされる大乗仏教は、もしかしたら近道かもしれない。恐らく、この世の中で幸福が掴めないでいるのは、過去世に問題あるに違いない。己の過去世が十分カルマを落とし切っていないから、因縁としてそれが残るんだ。
 今まで己の二つの目で真実としてきたことすべてをウソだと信じよう。汚れない、無垢な瞳で己を見つめ直さねばならない。一体、私が何をしたと言うのか。人並み以上に努力するも、ことごとく期待外れに終わってしまう。努力不足は認めよう。加えて、己のカルマを恨もう。結局、すべては死に収まる。どう上手く生きようが下手に生きようが、関係ない。死にたいやつは死んでいくし、要領のいいやつはスイスイやっていく。逆に考えれば、要領が悪くても別に死ぬ必要はないからね。そういうやつは数限りある少ない選択肢の中で生きていけって?罪深いね。
 この薄汚れた社会のなかで、誰しもが自分なりの幸福ラインを決めて、「らしく」生きている。否、「らしく」生かされている。不文律に従うだけ。聞けば輪廻転生たるや、己の魂までは、そうそう簡単に変えられることはないらしい。…だとすれば、私の過去世も恐らく同じ悩みをもって死んでいったのだろうか?苦しみも、楽しみも繰り返す?永久に??それは断固誤りだ。第一現在の私には、過去世の記憶はおろか、体験的なこと一切は消されているし、(催眠術にでもかかればわからぬが)私の意思をもって、行動しているつもりだ。それならなおのこと、認めてしまおう。仮にも、肉体だけは入れモノに違いないとして、精神や真実が、誰か経験したことのある他の者であることを。そこでハッと目が覚める。万物流転、この世のすべては常に変化し続けている、ということを。だから、救われるわけだ。