今日は、放送大学のセンターにいた。最近つれづれ思うのだが、俺を含め現代人は、誰か他の者のために、自分の命を落とすぐらいの気迫がなくなったようだ。子どもの虐待死、尊属殺人、老人の孤独死、どれをとっても美しい死に方ではあるまい。醜い死に方しかできなくなったのは、そういう死しか選択できないからではない。時代のどこかで死は良くないことだ、と誰かが言い出したからに違いない。その犯人は、快適な生活環境であったり、非効率を一切度外視した速い生活であったりする。
 失うものなんか何もなかったら、誰だっていつ死んでも可笑しくないし、進んで何かのために死ねる。もし大学がダメだったら、そうするしかない。俺も遠回りして、あれこれ悩んだけど、今年を最後にしたい。もうこんなムダなことはしたくない。もう自分を活かす場所など残ってない…。だったら、最後にバカなことして死ぬくらいなら、地球のために自分ができることをして死ぬ。そのほうがよっぽど良い死に方だ。
 今更、大学出て一般企業に就職して、結婚して、普通に年を迎えて、リタイアの時期を指折り数えるライフスタイルなど流行らない。大口を叩くようだが、本気でそう思っている。企業の利益のためにコマ遣いとして一生働くくらいなら、NGOなどで海外ボランティアなどでしたほうが世のためだ。括られる生き方には憧れない。本当に今年が最後の受験。働け、働けという視線がズキズキ突き刺さってくる。そこで、また最初の問いに立ち返ってしまう。何のために???誰のために????俺は、自分を殺す生き方なんてイヤだね。生きながら死んでいる人はたくさんいるけど(笑)そういう人、全員に言いたい。一生生きながら、死んどいてください、一生変われる自分から遠ざかって死んどいてください、と。結局、変わることから恐れているのは自分たちじゃないか。地位や権力ばかりかさに着て、威張り散らすのが人生か?
 大学だって選ばなけりゃ入れる。わかっている。下らない大学で、下らないサラリーマンしか道がないのなら、そういう生き方もありかなっと思った。