実は、以前からためておいた英字新聞から拾った単語を、wordに打ち込む作業をしていた。それがとんでもない量で、とても終わり切りそうにない。日進月歩の世の中、新聞を読み続ける限り日々増殖し続けるわけで、1日たりとも絶やすわけにはいかない。もちろん、そんなものいちいち作らなくたって、書店に行けば、いくらでも単語集みたいなものは並んでいる。俺はそういうアマノジャクが嫌いで、どうせならしんどくてもいちから集めるのがよい。書店に売ってるようなのは、何年かすれば、役立たずになる。しかし、自力で集めた単語なら、ありがたみのようなものが湧く。言葉の大切さにも気づく。これに語彙力増強がプラスされれば、鬼に金棒だ。
 今日も朝からうっとうしい天気。バイトが決まらない時は、スキルアップを図れる時期と見越し、いつも通りスケジュールを組んで規則的に暮らす。もう2月も終わりだし、これからは桜のシーズンか。自分にとっては、長すぎる春の予感。たしか、去年の春は京都の桜の通り抜けに行った。1キロ弱の道のりを、歩き通して、桜の雨を降らせながら、清々しい小春日和を体験した。京都はいい。ひとりで行くのがいい。食い物高いけど。
 ああ、おくりびとアカデミー賞取ったって。まだ、見てないな。どうせ今行っても満杯だ。面白そうだけど、重たそう。扱うテーマが。もがりの森とかもそうだけど、最近の日本映画は、なんか偏ってる感じがするんだな。善し悪しは別として。高齢化社会を反映したつくりが多いからか。死ぬということの意味が(あるいは生きることの意味が)、見る人の立場によって、ころころ変わるからだろう。若者たちには木炭自殺でも、中高年たちには重要なテーマとなる。大変な世の中で一人でも多くの人が生きることに希望を見いだそうとするからこそ、そういう作品が喜ばれるのだろう。