編入先の大学、募集停止だって。。今、ニュースで見た。どうせいつもこうさ。俺は、こうなるのさ。運命だね。

行き先、変えよう。前向きになろう。ちゃんと、前を見て、歩こう。歩こう。歩こう。

今自分のいるところが、灼熱地獄ならば、娑婆はノルウェーかアラスカ。やりたくもない親父の仕事継ぐか、どっかで野たれ死ぬか。

行き地獄6年強。もう限界。俺は、我慢し続けてきた。何もかも押し殺して我慢し続けてきた。うらやましいぜ。

親のふんどしで娑婆に出て、大学出てのうのうと働いてるやつは、俺の苦しみなどわからんだろう。分かってもらわなくて結構。

いつもいつもいつも、いいところで話が潰れる。潰れる。悪運のせいだ。呪うしかあるまい。あるまい。

壁は、巨木のように立ちはだかり、どんな文明の利器でも壊せやしない。

今まで不幸だったのは、支援に恵まれなかったことだ。。一人で歩いてきた。歩いてきた。

歩いてたどり着く先はいつも出発点で、(これは自然なことだろう。原因と結果を繰り返すのだから)砂漠のど真ん中にいた。

前を見ても後ろを見ても、誰もいない。夜しか来ない。すげえ、孤独。孤独。孤独。

俺は、欲望すべて我慢してきた。我慢してきた。何のためか?何のためでもない。自分のためだ。

気がつけば、独りよがりという、とてつもない自我が増強され続けただけだ。協調より、妥協より、統合より、融合より、森林の中の孤独を選ぶ。

孤立とは違う。まだ、依存できる環境がある。だから孤立ではない。

夜の砂漠に何がある??傾く日差しの向こうに何がある??闇を照らす月明かりは、何のためになる?手を差し伸べても届こうはずがあるまい。

みんなは月へ昇った。月で毎晩宴を楽しんで、灰になるだけさ。宇宙の藻屑となるのさ。俺は真実を伝える砂漠の住人。砂漠の真実に、月の虚構。

別に、俺は英雄主義を気取るつもりはない。陳腐だ。情けない。すれっからしの、アイロニックな自己陶酔の英雄主義を気取るつもりはない。

世界中の不幸は現象として存在する。誰も否定はしないし、できない。また、混同もしない。比べる基準が違う。当然だ。

しかし、世界中の不幸のうちの何十億分の一は、語ることはできるはずだ。少なくともその権利はある。発生源?それは真実を吐露する心。