今日は外出先で二回も親切を受けた。一度目はコンビニに立ち寄る途中の道で。思わず手から財布が滑り落ち、危うく気づかずに立ち去ろうとしてしまったところを助けていただいた。「これ、落ちましたよ。」と言われ、とっさに出てしまった「あ、すみません」という言葉。向こうは善意で拾ってくれたのに、どうして「すみません」なのか?何に対して「すまない」のか?相手から受け取った行為なのだから素直に「ありがとう」と言えばよかったものの、それが出来なかった自分が情けない思いがした。相手への遠慮の気持から思わず口を衝いて出てしまったのかもしれない。財布には免許証など貴重品が入っていて、うっかりすると交番のお世話になるところだった。あるいは永久になくしてしまうところだった。その窮地を救ってくれたことへの「すみません」だったのか?恐らく拾ってそう言われた人は、後から妙に勘ぐってしまうに違いない。二度目は、エレベーターに乗っていた時、「何階ですか」と降りる階をわざわざ聞いてくれる人がいた。実はその人とたまたま同じ階で降りることになり、こっちが先に降りた。その時も出てしまった「すみません」。こっちはその人に対して、悪気ひとつないのに一体何が「すまない」のか?いずれにせよ、こっちが失礼にも相手の善意に猜疑心に似た心情を抱いたことは間違いない。
 今時、家族内殺人などがおこるくらい、近親者同士の関係はますます希薄になりつつある。ましてや他人同士の関係はもっともっと希薄だ。だからその善意が信じられなかったのだ。人間はちょっとした偶然で人に対して親切に振舞ったり、邪険に振舞ったりできるのだろうか?そうではない。その日はたまたま、運のいい人に当たったと言えば、それで済む話かもしれないが、それだけではないだろう。悪い人間ならば、財布を落としてもそのまま持っていってもおかしくないし、どれだけエレベーターに人がいても真っ先に降りようとするだろう。たとえ金がほしかったり、急いでいたりしていなくても、だ。今日の人たちは、恐らく誰に対してもこういう風にできる人なのだ。だから、今時珍しい。
 マイケル・ジャクソンが死んだ。忌野清志郎に続き。本当に音楽業界は惜しい人材をなくしたと思う。CNNではずーっとその報道ばかりやっていた。俺はマイケルをリアルタイムに聴いていた世代ではないが、どれだけインパクトのあった人であったかはレコードの売り上げ云々を抜きにしてもわかる。それだけ、時代に与えた影響は大きい。マイケルの晩年はスキャンダルだらけで、先細りした感じもある。たしか家にもレコードが何枚かあって、聴いたことがある。何が原因だったのかはよく分からないにしても、意図的な死ではなかったことを期待したい。