今日、道端で出会った中年の男に金を貸してしまった。こんなこと本当は有り得ないのだが困っている様子だったので仕方なく渡してしまった。どうせ金は返ってはこないだろう。その場で断る理由はいくらでも用意出来たはずだが、バカ正直にも金を渡してしまった。理由は3つ。突発的だったこと、人のためになることだと確信を得てやった行為のため、被害届を出せばこのご時世逆恨みされては困る、から。最後の理由はいかにも現実的だが、俺は人に頼まれたら断れぬ最も恥ずべき顔を晒してしまった。騙されたとわかったのも、家へ帰って父親からは「人の役に立ったと思って諦めなさい。」と言われる。
 今日は月に一度の古本市があると聞いて普段はあまり行かない街に行った。ビジネス街だが今日は人通りも少なく気持ち悪いほど閑散としていた。それが何かが前ぶれだったのか。。
 それもこれも読書癖がアダとなったのだろうか?今はもうヒマさえあれば文学を読み漁っている。一番いいのは19世紀ごろの英米作品だ。当時は中産階級が世の中を牛耳っていて、戦争ばっかりの暗い暗い世の中だった。ヘミングウェイ武器よさらばでも主人公は戦場を捨てて英国娘を選ぶわけだけれども娘は出産のショックで死んでしまう。彼は最後の最後で何もかも失ってしまう。
今なぜ文学か?それは人生において自分には絶対的に手に入れることが出来ないものがあると知ってしまったからだ。従って読書が時間のムダ使いだとは思わない。見聞を広め、異なる人生を知り、独創性を楽しむのに十分役立っている。それに外国文学ならばバックグラウンドの知識の吸収にもなる。老眼鏡をかける頃にはもう文学を楽しむ余裕すら残ってないのではないかと、人生の儚さを実感するからもっともっともっと読まないといけない。
 …でも今日は災難?な1日だった。父の忠告通り人助けに一役買ったと思って諦めるしかあるまい。もう人間関係のゴタゴタはこりごりだ。。