共産主義という「宗教」の最大の目的は、既存の国家、政府、財産、信仰などを一端ぶっ潰していわば原始的な共同体に戻すことだ。ゾラを読むとよく分かる。資本家が腐敗して労働ストライキが盛んだった頃ならそれでもよかった。でも国家が官僚として君臨して個人のお金、情報まで独り占めする状態はやはり健全でない。現在ではただの反乱分子の寄せ集めだと激しく糾弾する者もある。
 でも、生きる権利を奪われた者たちが主張する権利を自覚した点で大きな進歩であるとは思う。うちの祖母は昭和ヒトケタの生まれだ。田舎に疎開してたころの話。ある日、近くの建物に検兵がドカドカ中に押し入って2、3分したらお縄になった学生が山ほど出てきたと言っていた。戦時下の厳しい思想統制もあってアカは外国の思想であり異教とされた。竹やりと幸福追求ではまさに比べようがない。その後は竹やりが健全とも、幸福追求が健全とも言えなくなってしまった。
 米ソ冷戦後、対立図式は西側と東側に分かれ代理戦争をおっぱじめた。今も当然続いている。戦後からこっちの世界の紛争の大半は米ソ対立の尻ぬぐい的な戦争だ。必ずどこかで米ソの糸がつながっている。アフガニスタンイスラエルも米ソのハイテク武器がないと戦えない。日本の相撲の西側、東側とはワケが違う。行司もなければ、対戦相手もない一人相撲を一生懸命取ろうとしている。単なる破壊が創造につながるとは到底思えない。理想郷をつくったら、またその中で溢れ出す人々が出てくることを知らないのだ。そういう点で愚かな平等思想だとしか言いようがない。