氷の世界、かんかん照り、白いカーネーション、断絶、夢の中へ。レトリックの文体に目覚めたのも、少年期に聴いた陽水の詩的世界の影響が強いかもしれない。レトリックは嫌われる。論文では論外、基準以下の扱い。だが詩は現実を切り取ったレトリックでもあるし、鋭い風刺でもある。
 ただ、陽水の場合は同時代の拓郎や泉谷のように人間臭くない。従って、フォークとロックの中間を行くクォリティーを持った音楽はあまりなかったのではないか?それが偉大なニューミュージック創始者たる一人として今もなお必ず候補に挙がる理由だろう。一人ストイックなまでに人間臭さを削ぎ落とした独特の美的感覚を貫くスタイルは、その後のニューミュージックにつながった。バックの演奏クォリティの高さ、ヴォーカル、詩の叙情性。
 だが、フォーク一辺倒だったなか、飽き足らない音楽大衆のあいだからも、新たな音楽の波を受け入れる態勢は十分整っていた。そんななか井上陽水という名も知れぬ男が彗星のごとく現れたわけだ。
 ギターを握るきっかけを作ってくれたミュージシャンだと誰しもが言う。そんな彼も世間に認められるまでは順風満帆とは言えないスタートだったようだ。三度の大学受験失敗、パチンコにふける日々、アンドレカンドレで売り出すも泣かす飛ばすの日々、父親の急死。。視界が開けたのはポリドールから出したアルバム「断絶」が大ヒットしてからだった。
 われわれの時代の人間は少年時代しか知らない人が多いが、やはり成功の影には苦労あり、ということを実感する。必ず、視界は開けると思ってやらないことにはやり切れない。