結果を出すことは、大事なことだと思う。ただ、余りに短絡的な結論だと、自分自身に悪い気がする。
 武士たるものは生きるか、死ぬかを選ばなければならない場合、必ず死を選んだという。なるほど、一生懸命やっても思い通りの結果が出せなかった、というのも、一つの結果の表れだとすれば、それはそれで納得せざるを得ないのかもしれない。
 今日、面白いことがあった。電車に乗ろうとして、駅まで歩いていると、一生懸命走っている人がいた。その人は、俺を追い抜いてどんどん駅の方に向かっていった。ところが駅に着いても、電車はまだ来ていなかった。あんなに急いで走っても、たどり着く先は、いつだって同じのはずなのに、なぜあんなに急ぐのか、よく理解出来なかった。目的地が同じとわかっていて、どうしてあんなに急ぐのか?あれでは走った分の体力がムダではないか!?人生の場合、野球の勝ち負けのように、簡単にどちらかを選ぶことはできない。二台の車が高速道路を走ったとしよう。一方は時速40キロの軽自動車で、他方は時速160キロのスポーツカー。そして同じ目的地を目指したとする。前者は、のろのろ運転だが、確実に目的地に着くことができるのに対し、後者は、簡単に目的地には着くけれど、途中で爆発したり、クラッシュするかもしれない。そうなれば、人生終わりである。この先、どんな幸福が待ち構えていても、何もかも素直には喜べないだろうし、喜びを得るためには過去に達成したどんなに優れた業績よりも、それを超える達成がなされなければならない。つまり、もう大抵のことは何でもやったから、やることは何もない、と考えてしまう。
 だから三島由紀夫のような天才が長生きできないのはそういう理由だ。逆に言えば、まだまだやることが残されているから、凡人は早死できないわけだ。