野球中継を見て熱狂する人の姿に、狂信者の影が見え隠れするのはおれだけか?野球にせよ、マラソンにせよ、オリンピックにせよ、およそスポーツと名のつくものになぜ人はあんなに熱狂するのか?2つ考えられる。
 まず、その熱狂が人々の信仰の代わりをしている、ということ。普通、どんな宗教でも、信者は定期的に教会に通う。野球ファンなら、甲子園球場に行くし、陸上スポーツのファンなら競技場に集まる。彼らが何をしたいのかと言うと、そこで経典やお祈りを唱えるわけである。声援ですね。声援も、宗教的な集まりで行うお祈りといったものも、似て非なるモノなのだ。
 だから、この国には宗教が無い、というのは間違いであって、それに代わるものは世の中いくらでも存在する。まあ例えば、アニメオタクやライブコンサートとかいった現象も同じ理由で説明がつくし、最も何を崇拝の対象とするかによって異なってくるかとは思う。
 サッカーアジア代表の日本人サポーターの熱狂ぶり、阪神タイガース優勝パレードに湧く中、道頓堀川へ飛び込むファンの様子は、さながら古代の原始的な宗教儀式を見ているようだ。群集心理と呼ぶのが相応しいかどうかは別として、あれだけ多くの人間が同じ感情で、同じ動機でそこにいるということは否定できない。優勝の美酒に酔いしれたいという、あるいはそういう雰囲気につられてあすこに加わった人だけの人もなかにはいるかも知れない。でも、おれはあの中に宗教的な異様さを感じた。それでも、日本に宗教は無い、とオオウソをつくのなら、毎年暮れに神社に行く理由を考えれば、一発でわかる。鳥居の向こう側には神様が住んでいる、と無意識に信じているからだ。とにかく、人が集まって一つになる状態は、宗教の特色であり、それは無目的な集団ではなく、何らかの意味や動機を持った集団なのであって、そう考えれば思想の固まりのようにも感じられる。ナショナリズムのように。