池波正太郎さんの「男の作法」で、面白いことが書いてあった。
「たとえばドストエフスキーでもトルストイでも若いうちでないと読めないんだ、あの膨大な文学はね。もう四十になったら根気がなくなって読めないんだよ。」
 確かに、その通りで、まさに僕はそう思って今、古典を読み続けている。バルザック谷間の百合を読んでいるが、これから二十年先に同じものを読めと言われても、恐らく読まないと思う。若いうちしか(自分で言うのも可笑しいが)知的好奇心を目一杯働かせることはできないし、そう考えると、人間が短い一生のうちに知ることがあまりに限られているとすれば、少しでも知っておいた方がいいに決まっている。
 何も知ろうとしないで、セックスばかりで棒を振る青春と、将来の自己投資のための青春と、どっちの青春を送った方があなたはいいと思いますか、とおっしゃっているのだ。
 男たるもの大抵の相場は中年以降、頭は禿げ、剥き出しになって、スイカのような太鼓腹の、休日に盆栽を愛でるお父さんになるのがオチだ。家庭の「粗大ゴミ」などと呼ばれてからではダメなんである。
 目標としては、自宅書斎にある世界文学全集に一応目を通すことだが、なるべくは時間をかけて、というよりも大体でいい。それから、できれば、ばらばらな読み方はしないで系統立てて読みたいので、無闇やたらな乱読は避けようと思う。英米文学、フランス文学ぐらいは、だいたい知っておく必要があろう。
まだまだ経済観念の乏しいうちはなるべく教養や自己投資に、目先のことよりも、少ーし前を見据えておいた方が、遊び呆けている連中よりかは余程いい。今は、自己投資の時期と考えて、あらゆるものに目をつむる時期なのだ…。やってきたことの確認作業のような書物に出会うと、思わずハッとしてしまう。