この休みのあいだは、祖母宅で過ごした。日がな一日、テレビにかじりついてべっちゃりの父親がいては、勉学に身が入らないのと、嫌悪感そのものから、緊急非難したわけである。祖母は関東出身で、江戸っ子のようにタンカを切って早口でしゃべる。こっちがもたついていると、喉元に隠れた話の糸を一気に紡ぎ出してくれる。そこで昔の写真を見たり、話をしたりして久しぶりに楽に過ごした。
 休みも半ばを過ぎ、親戚の叔母さんが来た。手土産に草餅かなにかを持ってきた。叔母さんは、親戚の中でもずっと独身で、ずっと縁談を断り続け、齢45を過ぎた。気弱で、ひとりでいては不安が残る母親を残していけなかったからだ。それでも、そんな年齢を連想させないほど若々しさが残っていた。若々しさというより、変化の無さと言おうか。俺が小学生の頃から、雰囲気は変わらない。葬式でしか顔を合わさない叔母さんに懐かしさを感じつつ、こないだ嵐山で撮ってきた写真を見せた。
 夜、祖母が旅行で録音した昔のテープを聞かせてくれた。例によって、法事でしか顔を合わさない東京の昔懐かしの親戚の声が聞こえる。テープの表に「1980 父のルーツを訪ねて」とある。これは、親戚一行が(俺のひいおじいさんに当たる人)祖父のルーツを探すため、栃木へ出掛けた際に撮ったもので、当時はこういうものが流行ったという。祖父は学者で、陛下から直々に叙勲を授かったことがある。そのときの皇居内で撮影されたモノクロの写真を見せてくれた。横一列にズラッとお並びの功労者のなか、絶妙のタイミングでひとり横を向く小柄な人物がいた。
 深夜2時45分、電話の音がしたが、途中で切れた。これが2日間続いた。同じ時間に。それはそうと祖母宅での休みはいつもと勝手が違って、時間が経つのも忘れていた。