家族と一緒に甲子園まで野球を見に行った。今日はデイゲームで、阪神vs横浜の試合だった。7月になれば、ホームに帰ってきて甲子園での試合が中心になる。今日は、母の日とあって、父のはからいもあって野球を見に行くことにした。いつも思うのだが甲子園で何かを食べると、普段はどうとも思わぬものが妙に旨く感じてしまう。まず買ってきた幕の内を食べて腹を落ち着かせた。その後ソーセージ、デザート、甲子園名物のカレーをいただいた。自分でもよく入る胃だなと関心しながら。普段、小食に気を使いすぎて遠慮しがちな胃も、今日とばかりは2、3倍大きくなった気がした。
 肝心の試合は、阪神が勝って首位を守った。いつも夏に入ると、阪神は落ち込むが、あまりスピードを出しすぎると、後のゲームに響くかもしれないな、と思った。けれど会場の熱気はそれをかき消し、場内全体の雰囲気からも、全員が同じく期待するものを感じた。ああいう時は、全員が一体になる。目の前の親子も試合が始まるや否や、わんさと応援用のユニフォームに着替えた。(ちょうどこれは坊主のケサや特別な儀式のための衣装に相当するのではないか)すなわち、野球(だけに限らずスポーツ)は神話であり、各選手は神話に登場するキャラクターであり、試合を見守るわれわれは熱心な信者である。メガホンや歓声は祭事のため特別に考え出された発明品であり、信者らは熱心にそれらを使いこなす。僕みたいに、普段野球を見たりしない人間でも、会場に行けば、体がおぼえているかのように、すぐ反応するのだ。周りの空気が一気に高めてくれる。
 ただ、帰りは困った。いつもあそこの駅は出口がつかえる。もし、何にも知らない外国人がすぐそばを通ったら、間違いなく宗教集団の巡礼かなにかのように見えたことだろう。