私にとってある物事に情熱的で、最大限の努力を注ぎ込む原動力となっているのは、嫉妬心である。好奇心からではない。他人の成功に対する嫉妬、あるいは一見何事もないかのように平然と振る舞う余裕しゃくしゃくたる態度に対する嫉妬、あらゆる嫉妬を経験する時間が長すぎた。
 先述の通り、努力に注ぎ込む時間の長さは、好奇心を滅失させた。好奇心だけでなく、アイデンティティの価値配分の基礎部分である愛情や喜び、幸福といった精神的価値も失った。否、「あきらめ」という事態において強制的に失わされたのである。命が燃え尽きるまで嫉妬の限りを尽くすことが努力の根元だと悟ったからこそ、好奇心の滅失は必然的であろう。なぜなら、現代はボードリヤールが言ったように期待が過剰だからだ。そういう過剰の中では、私の現実認識のための眼鏡が曇ってしまう。これは私だけが経験する事態ではない。多くの人々に必然的に共有される事柄なのである。それに気がつかないのは、彼らがすでに過剰に毒されているからだ。