同じ日本人として三人のノーベル物理学賞の受賞は、誇りに思うべきことだと思う。もちろん、素直に喜ぶべき快挙だ。ただ、テレビの内容は素粒子の…と専門的なことをいとも簡単に伝えるので、我々一般人はわかったかのようなフリをして終わってしまいがちだ。まあクォークのことは有名なので、わかる人は多いと思うが。たとえば、天気予報ひとつにしても今ひとつ正確さに欠けてわかったふうに伝える。見ているほうは、「ふーん」と納得させられたフリをする。いいことかもしれないが、それが我々の科学的な視座を養っているかというと必ずしもそうではないだろう。あれを見て、何人の人が図書館に行くのか?別に、テレビが一方的で、我々が受動的産物の奴隷と言うのではない。
 しかし一通りのことは疑ってみる必要がある。おそらく、あらゆる理論の発見者も、発明者も、すべては常識を疑うことから出発したに違いない。常識を疑う世界に籠もることは、返って日常世界との乖離を生みそうだが、益川氏の会見の様子を見て、そうではないとわかった。まさに受賞の重みとは信じ難いほどの茶目っ気で、あっと驚かされた。
 最近、公共財について関心があるので、大学もそれ基準で選びたいと思う。いろいろやりたいことが多いのは、選択と集中に欠けるかもしれないが、面白いと思うことはまずやってみる価値がある。科学者らの勇姿に、そっと勇気づけられた気がした。