大分市内に着いたのが、昼の2時前だった。祖母の入院する病院まで、津久見を通り抜け、佐伯の市街地へ。4人部屋の奥の間に、祖母はいた。つまり、こちらが言うことはわかる様子だが、字がまったく読めない。目と口がやられ、意思を言語化できない状態だった。週に3度のリハビリで、うまくいけば、田舎に帰れるらしい。だが、字が読めないため、ある程度回復するには努力を要するかもしれない。
 さて、到着した日は田舎のほうに泊まった。晩は叔父が取ってきた鹿の肉と、イノシシをいただいた。イノシシのほうは全然臭みがなく、柔らかくなるまで煮込まれていた。都会ではすべて味わえないくらいの贅沢。京都のボタン鍋なんかはもっとする。鹿の肉と柿の実、米などを土産にもらった。
 翌朝の予定は、親戚めぐりをして、蒲江の漁港へ行き、それからもう一度祖母の病院へ行く予定にしていた。御手洗氏ゆかりの蒲江。佐伯市からは凡そ40分。曲がりくねる山道を折れて進んだ。ここにも何人か親戚がいて、サバ寿司をご馳走になった。
 旅先ではゾクッとするほどの美人に遭遇することがある。今でも鮮明にイメージに残っている。それは、病院に戻った時のこと。もう一軒だけ、親戚が入っている病院に行く予定だったので、窓口で道を聞いていると、その女性がいた。窓口が手間取っていたので、車で先導してくれるとのこと。ああいった美人はめったに出会えるはずもない。服装は決して派手ではなく、化粧っ気もほとんどなかったが、優美で、落ち着いているようで、地味とはいはないが田舎特有の美しい女性だった。内心の芯の強さを、大らかな気性でオブラートしたかのような女性だった。都会には絶対にいない。年齢もそれほど若くはなかったけど、それでもなお美しかった。自然と同化したかのような様子に思わず、シャッターを切ろうかと思ったが、残しておくにはもったいないほどだった。声をかけたかったが、一瞬だった上、視線も合わすことはなかった。
 その後また、行きと同じように代わる代わる運転を交代して帰った。