一昨日は日本経済論、経済政策入門、民営化の戦略、社外取締役などについての本を図書館で借りた。放送大学、図書館、自宅のトライアングルのような生活が一年少し続く。自分にとってみれば、図書館はなくてはならない存在だ。放送大学のセンター内にも少し置いているが、どれもこれも若干古い(笑)またある時には、古本屋で見つけたりと、自発的努力がないと今の立場ではつらい。一般の大学であると、蔵書も豊富そうで、調べものもさぞかしやり易いと思う。やはり、一番やりにくいのは、学習上の疑問点がなかなか解消されにくいこと。これが編入を決めた一番の理由となる。わからないことをわからないままに放ったらかしにすることほど、気持ち悪いことはないからだ。
 巷には「10分でわかる!〜」式の中身の薄い本が出回り過ぎだと思う。本当に「10分」でわかれば困ることはない。長年蓄積された思想をタダ同然の情報として消費されている証拠だ。俺から言わせれば、そんなものは紙クズ同然だ。何の価値もない。ただ簡単なことを調べるのにはインターネットという便利な取り出し袋がある。あるいはそうかもしれない。しかし、残念ながら思考はそれ以上に深まることはない。これは情報の価値を改めて問い、その価値を高める意味でも見逃せない重大な問題だ。
 一番許せないのは、情報がそこかしこにありふれている状態にしておきながら、自分たちの都合のいいようにそれらを取り出してみては、調べた気になった人々の堕落であって、思い上がりである。近代では一部の知の独占者が支配する知識崇拝の世の中だった。しかし、今や何でもござれの世の中で知の独占すら意味をもたなくなった。果たして現代は人々にとって、報われるかたちで情報が使われているだろうか。はなはだ疑問である。とりあえず思想の軽視だけは、止めていただきたい。