もし、編入で入ったとする。サークル活動がある。入るかどうか、最初は見守っている。考えた末、入らない。多分、こうなる。別に、サークル活動だけのためにわざわざ編入するわけがない。第一そんな理由だけならば、どこの大学も行けないだろう。学者になる。今はその準備段階。遊んでいるひまなどない。多分、もう遊ぶこともしないだろう。もっと他の部分に快楽を求めてしまったから。。
  Not failure,but low aim,is a crime.
全身に刺激が走った言葉。失敗は罪ではない。志の低いことが罪である。まさしく今までの自分の人生を集約したかのような言葉。。金言とはこのこと。俺はこの言葉を胸に失敗を糧に生きる。たとえ今までが納得のいく結果でなくとも、すべては自分が選び出してしまったもの。もう振り向くまい。俺は一切の過去と決別する。
 自ずから能力に見切りをつけてしまうことほど愚かしいことはない。そのかぎりにおいて、絶対に立てた志は諦めないし、今度こそ貫徹してやる。そういう強いインセンティブを沸き起こさせる言葉だ。逆に考えれば、どんなに志の低い人でも(あるいは本当なら能力以上のことができるはずなのに)簡単に成功してしまう人だっている。その成功がその人にとってどれほどの価値があるのかは知らない。でも成功体験が多い人ほど、不幸は後からやってくるのではないか?輝かしい経歴の人でも、極貧から身を起こした人もいるし、さまざまだろう。しかし、その人なりのフィールド、能力をフル活用して生きていければ、それが一番いい。自分も早くそういう場所が欲しいし、そういう場所はただボーっと待っているだけではやってはこない。
 可能な限り待ちつづけるということ。どんな強風が吹き荒れても、高波に打たれても、笑われても、へこまされても、誰にも負けないものを一つ持つ。辛抱強く機が熟すのを待つしかあるまい。徳川家康だってそうやって天下をとった。