ロールズだって言っていたが、社会において、生命格差が出るのは仕方ない。すべて偶然だから。だからといって、盲目的に自由につながれていることがいいわけではない。しばしば今、便利な世の中なのは、テクノロジーの発達のおかげでそれを享受している状態が自由だ、とするのは大間違いだ、と言われる。ルソーは(だっけ)人はむしろ、柵が無かった方が、幸せだったという。柵で覆ってしまうから、奪い合い、争いごとが起こる。無ければ、牧草地でもめることはないが、そのぶん全員が横暴になる。およそ、内紛や宗教対立といったものも、これで説明がつくだろう。それを、超越的に解決しようとするから、余計にややこしくなる。仏教でも、アラヤシキはプラトン的な実在ゆえの観念を否定している。したがって現れに近い。現実は絶対に存在しなくてはならない。アレントとかとも近いね。格差格差と言うけど、それは生まれたころからもう始まっているよ。だから、「は?」という感じ。だったら、人間は生まれてくるときに、金持ちの家に生まれようと思って生まれてくることができるんですか、ということになる。格差はウソ。社会における位置など簡単に変えられっこない。無知のヴェールなんてよく言うけど、作れっこないよ。残念ながら、今の日本は…無理だね。コンサートとか、野球場とか、テレビとかじゃないと。日本人全員、冷め過ぎてるからね。互いの社会の状態や利害を気にしないで、ひとつになれるものを、作ることは難しい。変な国だ。そう思わんか?日本人って、何で民族の統制を保ってるんだって。どこで調和を目指す?
 テレビで、派遣労働者のデモ後進をみた。これで19世紀のゾラを思い出した。自然主義は歴史的にさんざんたたかれたけど、弱り目にはわりと効く。共産党は大嫌いだが、首相が会談に素直に応じたこと、少なくとも現状を見過ごせないでいる、ということをちゃんと認識できる人なのだな、と少しは感心した。