今日は一日眠気に襲われた。昨日の新聞を読んでいて驚いたことがあった。欧米とりわけアメリカでは、自宅で子供を教えるプログラムがある。望まれる理由として、学校内の治安が悪いことや宗教上の理由、英才教育のためなどが挙げられる。わが国ではまだまだ考えられないようなことだ。しかし、大学の大麻汚染の現実を知れば、きっと日本もアメリカに近くなるに違いない。アメリカは遠からず近い将来の日本を映す鏡だからだ。しかも、アメリカでは家庭学習も教育の一環に入れているため、反対が少ないのだ。ところが、近年アメリカではさらに急増しているという。学校内の教育事情の悪化に加えて、教育不信が高まったせいだ。
 ホームスクールは日本にもあるが、何せ知名度はないし、国が正規の教育だとは認めていない。だから、周囲の反応を想像すれば子供を学校に通わせざるを得ないというのが現状のようだ。かくいうこの俺も、十代半ばに登校拒否を経験した。我が家はホームスクールの存在を知ってか知らずか、その走りのようなものを実践していた。毎日毎日、きっちりスケジュールを立て、計画的に一日を過ごすように努力した。ただこうした教育システムの悪いところは、外側から一切様子がうかがえないことだ。家にいて勉強することが多くなると、だらけてしまったりする。即ち、誰よりも多くの時間を享受するなかで、徹底した自己管理が要求される。だから、スケジュール管理は徹底して行った。家には学校のチャイムもないし、同級生もいない。自分を強い自己規律で縛ることができなければ、あまりお勧めできない。それから、誰にも邪魔されず、本当にやりたい勉強をやるつもりなら、いやいやながら学校に通わせるのは本人のためにはならないわけで、それならば自宅で大学受験までの勉強をすればいい。母はこの方針を貫いてくれた。英語は母から直接教わった。おかげで、英検にも通った。そして今の自分がいる。
 周囲の反応を気にしていれば、それこそ生きていけなくなる。日本はどうせ遅れているのだから、そういう人たちを白い目で見る。俺も今まで何度となくそういう経験をしてきたから、それが一番よくわかる。大人でも子供でも、きっちり組織の型に嵌まってしか生きていけない人とそうでない人の二種類が存在する。組織の型に嵌まってしか生きられないのは、あまり賢明な生き方ではないと思う。ある程度は安泰だが、どの道、子は親から離れていく運命にある。ならば、早いうちから、自立心を植えつけてあげるのは親としてなすべき義務だと思う。一日まるまる手に入れた時間を、思い通りに使う機会を与えてくれたことに、感謝しているし、おかげでだらだらすることもない。意外と思われるかもしれないが。怠惰を人一倍嫌うようになった。
 だから、将来の方針のひとつが決まった。20年もしないうちに、日本の学校は今まで以上に荒廃しているだろう。それとともに今までとは異なる教育システムを構築する必要が出てくる。家庭学習を義務教育の一環として、法律で明文化するよう働きかけることが残された課題だ。批判はあろうが、必要とされる時が必ずくる。それは明日かもしれないし、十年後かもしれない。きっとやって見せる。学校にクレームを言いつける暇などない。荒廃はみるみる進んでいる。