アニメの思い出

 僕が小学生の時観ていたアニメと言えば、やっぱりドラゴンボールということになる。やっぱりと言うのは、夢中になったのがこの世代に限らず、幅広い層を虜にした、という意味で。友人らと映画に観に行ったり。いつもスラムダンクかアラレちゃんの二本セットで。懐かしいなぁ。子供だと誰もが経験することだと思うが、上映時間が意外に長い。タイトル忘れたが、ドラゴンボールZでブロリーが出てくる映画は、終始行きつく間もない展開で。当時ブロリーのあんまりの強さに泣き出す子供がいたらしく、そんなこととは露知らず、面白がっていたのを憶えている。それから、春休みか冬休みになると、子ども劇場というのが毎回やっていた。あの頃は確かGS美神やタルるートの再放送ばっかりやってたっけ。僕はガンダムウルトラマンには夢中になるタイプではなかったから、アニメでも少し凝った設定のものが好きだった。クレヨンしんちゃんが大人向けのシニカルなアニメだったことを知ったのは、かなりのショックだった。どこかでクレヨンしんちゃん社会学的に考察した文章を読んだが、しんのすけにとって大人はかなり宿命論的存在だ。つまり、日頃は5歳の園児として幼稚園に通っているわけだが、どんな悪戯をしても最後は有無を言わさずさまざまな試みは破局する。そのくせ大人の女性を見ればちょっかいを出す。相手の反応は本人にとってはどうでもよく、その点で英雄的でもあり、利己的でもある。一方、風間くんやマサオくんをはじめ彼の友人らは、遊び仲間であると同時に、大人たちを冷静に見通すための装置の役割をしている。かすかべ防衛隊は大人に対抗する結社組織であり、その点でグループのなかの異論はない。クレヨンしんちゃんは大人と子どもという、単純な主従関係を時折超越した姿を描いている。それが同じに結果で終わるとしても。
 アニメと言えば、主題歌も気になるところだ。現行形のアニメは、ほとんど何も知らないが、昔のアニメは主題歌のインパクトで観て知った。ハクション大魔王の主題歌にしても、あれだけエッジのきいたエレキ音は聞いたことがないし、いなかっぺ大将などの曲調ははっきり演歌である。でも、それが演歌っぽくない。なぜか。アニメのイメージが主題歌のインパクトを超えてしまっているからなのか。音楽と背景の絵とがなじんでいる。これはかなりの驚きなのだが、作品としてのクオリティーが高ければ、どんな曲の雰囲気もらしく聞こえてしまう。それはおそらく、アニメがなくて音楽だけというのは無意味だし誰も望んではしない。いや、記号だ。アニメを見なくても歌だけであれだ、とすぐ分かるのはシニフィアンシニフィエで結びつけているからだ。だから街を歩いていても音響イメージだけで、ヤッターマンだとすぐわかる。すごいね。