最近、単語が覚えにくくなった。十代の時はめちゃくちゃ覚えてたのに。俺も年かな。
 この頃は、coccoばかり聴いている出会いはメル友だった女の子に勧められて。最初聴いた時は、ものすごく嫌いだった。というのは、歌詞の内容がまるでナイフのように、心を削り取っていくように感じたからだ。彼女の詞は本当にきわどい。強調してもし過ぎることがないくらい。そして、暗い。あれだけ内面の感情を素直にさらけ出すアーティストは日本にはいないと思っていた。rainingを聴いた時、いじめの文字がとっさに浮かんだ。孤独なハーフの女の子は髪を無造作に切り落とし、誰もいない教室で「温かさ=生きている実感」を確かめるように、腕を切る。死んでいた女の子は教室の誰かの「笑い声=現実」に戻るわけだが…。血まみれで踊り狂うなんて表現がまずグロテスク。しかし、coccoというアーティストは、それができる人だ。グロテスクで誰もが目を背けたいものに迫っていく。それは優しさの織り成すワザではないのか。逆に冷たい人なら、そこまで踏み込む必要はない。そして、見たくないのなら見なくていい。でも、本当は誰もがそれを見たがっている。その欲望自体、グロテスクかもしれない。
 多くの人にとって、痛い、つらい、悲しいを直接的に表に出す機会が、ますます減りつつあることは確かだろう。